極めて狭い世界で話題沸騰wの授業を受けてきました。
1日+αという短い時間ですが刺激的過ぎました。 軽く錯乱してます。 今まで、ドキュメンタリー作品は単に好きでぼちぼち見てきたけど、こうやって授業として教えてもらいながら見るのは初めてやったけんばり楽しかった。 まぁ、テストとかに縛られずに授業に参加したのも楽しめたことの要因であることは否定しませんがね。w 最初はこの授業の趣旨も分からず普通に楽しんでたし。 結局よく分からずじまいやったかなぁ? ん~、知識の乏しさが露呈されたね・・・・。 その分!新しいことばっかで新鮮やた。 だから、この授業で感じたことを思いのままに書き残しときます。 これから書くこと全部授業の趣旨からは大いに外れてること間違いなしだけどね。 では・・・。 最初に、「忘却」を見たせいか、3つ全部「人が忘却すること」っていうテーマから頭が離れなかった。 人がモノゴトを忘れることって当然だと思う。「記憶が薄れる」とか、「美化」されていくことも忘却の一つやん。だから、モノゴトをカタチとして留めとくことがドキュメンタリーとしての役割なんじゃないかなぁ。要は、人は忘却することが前提として存在してるってこと。 「journey of hope」に出たほとんどの人は最初から死刑制度反対だったわけじゃない。むしろ、「犯人に会ったら殺してしまうかも知れない。」って素直に言ってる。でもその人はその後に「怒りは力になりやすい。」って言った。つまりは理性として冷静な考えの結果「死刑制度反対」に行き着いてる。その過程で彼は事件当時の憎しみをある程度「忘却」してるんだと思う。 忘却による考えの変化は強制的だなって感じた。 忘却することに対して空しさはあるけど、同時に自然と前に進む力を貰えてるからね。 でも、大概のことはそうやって変化してるんだと自分の場合で考えて思う。 忘却は人の進化そのものやと感じた。 もちろん、変化の過程で忘却してしまったにしても結局は一緒。 要は変化したんやけん。 その変化をカタチとして留めることがメディアの力であり、ドキュメンタリーの役割の一種だと思う。 人生には編集が効かん。 「不知火海」をDVD化する上で消えた30分間。 一体何を消したんだろう?? 「時間を消した」という行為そのものに真実が隠されているような気がしてなりません。
by niji-ala-ala
| 2005-12-01 02:08
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